(yahooブログ時代からの移設及び加筆記事です。)
この蓋は既に撤去され存在しません。
記事の内容は初稿当時のままです。
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先日JR十条駅付近で見掛けた越境蓋。
正体が中々判明せず随分とてこずらせてくれました。
8穴タイプのコンクリート蓋。
中央部を拡大。
いつもの様に珍しい蓋、古い蓋を求めて都内を探索しているとかなり痛みの進んだ古そうな蓋を発見。
中央部の紋章も磨滅が進んでいてすぐには何が書かれているのかさえ分からなかった。
『高』?。
まさか高田町のコンクリート蓋??
でもここは高田町の町域ではないし???
越境蓋の可能性も否定はできないが…。
でも待てよ、高田町は昭和7年に東京市に併合されているはず。
昭和7年にこの様なコンクリート蓋が有ったとは思えない…。
帰宅後、このコンクリート蓋について調べてみた。
駅からマンホールさんのブログ に寄ればこの蓋のデザインは昭和15年に森勝吉氏の発明で、実用新案出願公告(昭和15年6145号)されている。
昭和7年に消滅している高田町の紋章が昭和15年に発明されたデザインの蓋に有る訳が無い。
やはり北豊島郡高田町の蓋とは別物の様だ。
それでは、この紋章はどこの物か?
自治体の紋章を扱うサイトで調べてみたら富山県の高岡市の旧章とかなり似ている事が分かった。
高岡市は明治22年に市制施行をしているのでこのコンクリート蓋に紋章が付いていても何ら問題は無い。
ただしこの蓋の出来た昭和15年当時に下水道が整備されていたかどうか、その辺りは分からなかった。
この8穴タイプの蓋自体もかなり少ない部類に入ると思う。
東京市(または東京都)の紋章を付けた蓋でさえまだ十枚程度しか見たことが無い。
短足タイプの下水君が付いた東京市(都)の8穴タイプの蓋。
紋章を取り囲む飾りも同一と思える。
8穴の位置と紋章の位置がズレてはいるが同じデザインの蓋と言えると思う。
蓋はJR埼京線の十条駅のすぐ脇に有った。
斜めから見ると…。
軽度の反りが有る様に見える。
踏切の直前に設置されていた。
全体的な位置関係。JR十条駅前。
グーグルの画像検索を掛けても高岡市の旧章を付けた同様のコンクリート蓋は出て来なかった。
この蓋は果たして戦前からこの場所に設置されていたのだろうか。
(訂正 2012.07.10 18:00)高岡市の紋章と思っていましたが、高松市では?と言うご指摘を受け再調査したところ高松市の下水の紋章であることが判明しました。
タイトル並びに文中の字句を高松市に変更しました。
(2012.07.10 初稿)
(2021.06.04 加筆・移設)