東京電燈 その2 調査結果

(管理者注)過去記事です。(記録用)
現在までに判明した事実とは一部異なる点が有ります。

先般来、調査を続けて来ました東京電燈の蓋らしき謎の蓋の調査結果をお約束通りにご報告します。
結果と云ってもまだ継続中ですので現時点までで判明した事実と私なりに考えた推測です。
なお、事実と推測は東京電力が運営している電気の文書館で閲覧した東京電燈の社史による物が多くを占めます。

蓋の全体写真

紋章部分の拡大写真

<判明している社章について>

現在、東京電燈の社章の使用例としてもっとも古い例としては同社の営業案内に載せられているマークです。
これは同社の社史に紹介されているもので明治38~39年当時と思われる営業案内に描かれている物です。

大体こんな感じです。(他の出版物より転載)

なお、明治時代に発行された同社の株券には黒で塗り潰しが無い社章が描かれていました。
いずれにしても、中央から延びるのは6本であり、今回見つけた蓋の様に8本描かれたマークは見当たりませんでした。

<複数存在したマーク?>

同社の社史には昭和11年頃の営業所の写真も掲載されていました。
それを見ると、営業所の壁や看板に描かれているマークが複数存在したことに気付きました。
前橋支店では6本のマークであり、新宿営業所では丸の中に「東電」と黒字で描かれており、日本橋営業所では丸の中に「東電」が白抜きで描かれている。
宇都宮営業所に至っては、丸の中に「トウ」。
マークのそばに電球形のネオンがあるのでこれはランプの販売用のマークかもしれない。
これはもしかすると商品ごと、あるいは販売する部門別にマークを使用していたのかもしれない…。
確かな資料が無いので只の憶測では有りますが…。

<空白の20年>

社史に載せられたいた写真を見ると初期の頃の株券にはマークが有りませんでした。
これは会社が発足した当時はまだマークが無かった証拠ではないでしょうか。
会社が発足したのは明治19年ですので、上で記述したように最古の使用例が明治38~39年頃だとすると少なくとも19年から20年の空白期間が有ることになります。

<皇居の造営工事>

会社が発足したばかりの明治19(1886)年12月に「新たな皇居の造営工事の用命を受ける」(同22年点燈)と社史に記述が有りました。
更に、明治21(1888)年1月から宮城外の桜田、馬場先、和田倉三見付内および半蔵門から竹橋に至る道に常夜灯の点灯を開始した。とも記述が有りました。

<推測>

今回見つけた蓋は大手門と桔梗門の間に有りました。
明治19年からの造営工事と何らかの関連性があるのではないかと考えています。
マークに関しても空白の20年の間に8本が6本になった可能性も否定(もちろん肯定もですが)できないと考えても良いのではないかと思っています。
結論としては、何一つとしてはっきりしたことは分かりませんでした。
しかしながら、空白の20年間を調べることでこの謎の蓋の正体を解明できる手がかりが隠されているものと考えています。
具体的には、古い株券又はその写真を調べることができればマークの変遷が分かる可能性があるかもしれません。
何れにしても、一朝一夕で解決できる問題では有りませんので気長に調査を続けて行くしかないようです。

<補足>

調べたところ、今回の調査の参考になった「東京電燈50年史」は非売品ながら古書として市場に出回っていることが分かりました。
相場は4~5000円程度の様です。
調査のためとはいえ、個人で購入するのにはいささか抵抗の有る価格です。

以上簡単では有りますが、東京電燈らしき蓋についての調査結果でした。
(2010.12.19 初稿)