旧海軍・大和田通信所周辺を歩く

海なし県の埼玉県にかつて存在した旧海軍の大和田通信所。
現役時代には真珠湾攻撃に成功セリの電文「トラトラトラ」やポツダム宣言文の受信をした通信所でした。
つい最近、この施設の周辺で「海軍用地」と記された境界石を発見したというツイートを見掛けました。
実は数年前までは確かに存在(境界石を求めて【021】海軍・海軍用地、参照)を確認していたのですが、歩道整備に伴い消滅してしまいました。

新たに見つかった境界石の探索を含め、施設の周辺を歩いてみました。

大和田通信所01。
かつて存在を確認できた境界石があった場所の近くのイチョウは黄葉の盛りでした。
実のなる木もあるようで銀杏を拾う人の姿も見られました。

大和田通信所02。
現在の大和田通信所は米軍の管理下に置かれています。
フェンス越しに敷地内を見ると木製の支柱を使ったアンテナも見えました。

大和田通信所03。
新座市の境界標。「認定」と記された物は初めて見ました。

大和田通信所04。
至る所に警告文が掲示されています。

大和田通信所05。
施設に隣接する畑の隅にはチャ(茶)の花が咲いていました。

大和田通信所06。
国土地理院の多角点。

大和田通信所07。
軽トラがやっと通れるぐらいの狭い農道に設置されていました。

大和田通信所08。
今回の目玉の「海軍用地」標。

大和田通信所09。
陰になっていて見にくいのですが、裏側には「第十七號」とあります。
実はもう1本、海軍用地標があるらしいのですが、この標を見つけたことで舞い上がってしまい失念してしまいました。

大和田通信所10。
所々に設置されている看板。
この地図を見ると敷地はかなり広いことがわかる。

大和田通信所11。
フェンス越しになにやら門柱が見えます。
旧軍の遺構を扱ったサイトで見られる門柱に良く似ています。
門柱の間隔は目測で4メートル弱といったところでしょうか。
米軍がこんな所に門柱を建てる訳もないし、旧海軍時代の遺構でしょうか?

大和田通信所12。
右側の支柱。
右の写真は支柱に向かって右から見ています。
左の写真は左から見ています。
門を吊り下げる金具の一部が残っているようです(←部分)。

大和田通信所13。
門柱の左側の支柱。
こちらの支柱には金具は見られず、止められていた金具の跡が見えます。

大和田通信所跡にはもう何も遺構は残っていないと聞いていたので、門柱との遭遇は大きな成果と言えると思います。

写真は撮りませんでしたが、周辺には無人の農産物販売所もあり中々楽しめる探索となりました。

2020-11-19記。

(以下、追記 2021-01-07)

滝の城へ行った帰路に近くを通ったので足を延ばしてもう1本の境界石を撮影してきました。

大和田通信所14。
もう1本の境界石。

大和田通信所15。
裏側。何か文字が有るらしいのは分かるがはっきりしない。