青新ウォーク 前篇

開催日:2015.10.04(日曜日)
定番の蓋やお気に入りの蓋を巡りながら青山から新宿を目指して歩く「マンホールを求めて街歩き 青新ウォーク」を開催しました。
今までは案内人の後ろからついて行く参加者の立場でしたが、今回は初めての案内人ということで不安半分、楽しみ半分で当日を迎えました。
集合場所。
当初は駅の改札口前にするつもりでしたが、複数の出口があり紛らわしいので位置確認しやすい地上での集合にしました。
新青山ビルの送水口前に午前10時に集合です。
キャンセルもあり、この日の参加者は私を含め4名となりました。
少人数であることが幸いであることが後になって分かりました。
最初のお宝蓋。
旧営団地下鉄(帝都高速度交通営団)の紋章入りの蓋。
旧営団地下鉄の蓋は今でも各地で見ることができるが、この地紋の蓋は余所では見たことのない秘蔵のお宝蓋だ。
東京都のシンボルマーク付きの蓋。
この蓋はサラッと撮影してすぐ移動するつもりでいたのですが。
みなさん熱心で、蓋の鍵穴から見える水面に注目。
水面に動きが無いので流水ではないことが分かった。
恐らくCCB(電線共同溝)か何かの蓋らしい。
港区のBM(ベンチマーク=水準点)の蓋。
ここもサラッと通過する予定だったのですが。
参加者の方から蓋の受け枠が無いとの指摘が。
確かに受け枠は見当たらない。
そのうちに蓋の穴の部分をホジホジ始める。
しばらくすると、貫通したとの声が。
港区の側溝蓋。
港区の花「ハナミズキ」が描かれています。
本日の目玉的存在の蓋。
短足の下水君蓋の特徴は都章の中央は穴が開いているか、凹みがあるかのどちらかである点だ。
しかしこの蓋の中央は至って平らである。
しかも下水構えではなく、T字構えになっている点も見逃せない。
短足下水君蓋の中では一番のお気に入りの蓋だ。
参考のため穴のある蓋、凹みだけの蓋、平らな蓋を並べてみる。
平らな蓋が特異な存在であることが分かる。
この蓋を撮るために日曜日の開催にしました。
日曜、祝日だけは道路を閉鎖してサイクリングコースになっているので蓋を間近からの撮影が可能なのだ。
それ以外の日は交通量が結構あるので撮影も命懸けだ。
国立競技場の蓋。
国立競技場の解体の折に20枚限定で売りに出されたことで一躍脚光を浴びた蓋である。
20枚の内、少なくとも2枚は蓋愛好家が買ったことが判明している。
この蓋であるが、「国立競技場」の文字に細字と太字が存在する。
上の写真は細字の例である。
細字の蓋は文字の部分が一段高くなっているのである。
蓋作成者の蓋に対する、いい物を作ろうという熱意が感じられる。
順番が前後するが、太字の蓋を先に載せます。
文字の部分だけを比較する。
細字は手書き風、太字は活字風とでも言えそうである。
この太字の蓋、国立競技場から少し離れた競技施設に設置されています。
国立競技場は昭和33年の第3回アジア競技大会のメイン会場として開場しました。
太字の蓋の存在する秩父宮ラグビー場は昭和22年の開場である。
太字の方が古い?
実は秩父宮ラグビー場は昭和48年に改修工事が行われているので、この時に太字蓋が設置されたのでは無いかと推測しています。
なお、秩父宮ラグビー場敷地内には細字蓋も存在しており、国立競技場では見掛けなかった電気の蓋や止水栓の蓋も見ることができます。
「MIE JUKOGYO」とメーカー名が入った蓋。
ググってみると「三重重工業」という会社が存在します。
フェンスや門扉を作っている会社らしいが、蓋を作っているかどうかは確認できませんでした。
余所では見掛けない地紋である。
東京市の阻水弇(聖徳記念絵画館前)。
聖徳記念絵画館が竣工したのは大正15年。
恐らくこの蓋も竣工当時の蓋では無いかと推測できる。
東京都内には十数枚の阻水弇が確認されているが、設置年代を推測できる蓋は数少ない。
右書きの量水器蓋。
紋章が入っていない汎用蓋なのでスルーするつもりでいたのですが、初めて見る方にとってはかなりインパクトがあるかもしれませんね。
高速道路公団蓋。
敷地内にはもちろん高速道路などないので越境蓋であることは間違いないが、なぜ此所にあるのかは謎だ。
電話や電気の蓋と同じサイズだから手元にある蓋を入れてしまったのだろうか。
立派な縁石を持つ蓋。
汚水か何かの蓋だろうか。
同じような丸蓋も存在する。
コンクリート製の制水弁。
戦時中の鉄材不足を補うために蓋の一部をコンクリートで作った蓋。
コンクリートの部分に東京市章(または東京都章)が入っている。
摩滅により市章が見えない蓋や鍵穴の部分が割れている蓋が多い。
ごく稀に鍵穴の部分に東京市水道局の紋章が入っている蓋も存在する。
(後篇で水道局の紋章入りの蓋が登場します)
白い矢印の部分にうっすらと紋章の一部が見える。
国境石。
現在の国境は全て海中なので国境石は存在しません。
かつての樺太には北緯50度を境に日本とロシアが分け合っていたので国境が存在していました。
そこには大型の国境石4基と小型の国境石が17基設置されていたらしいです。
聖徳記念絵画館の敷地内には樺太庁が作成した国境石の複製品が記念として設置されています。
正面には菊のご紋。
脇には「天第四號 明治三十九年」と刻まれています。
国境石の裏側。
ロシアの紋章(双頭の鷲)とロシア文字が刻まれています。
「ACT IIII」とある。
ロシア文字は読めないが、「天第四號」と同じことが刻まれているのだろう。
「rzekaさんが居れば分かるのに!」と、参加者の声が。
国境石設置の図。
緑地帯に設置されている謎蓋。
斜めからしか見ることができない。
中央に何かの紋章と文字が入っている。
事前の下見の際にも判読しようとしたがPCの画面で見ても分からなかった。
ところが、鉄子さんから「外苑地中線路・」では? との発言。
よーく見ると確かにそう見える。
しかし、中央の紋章は依然として分からない。
中央部分を拡大復元。
画像は駅からマンホールさん(以下、駅からさんと略します)よりお借りしました。
「外苑地中線路・」の中に紋章が見えるが、依然として正体不明。
この紋章の正体が判明したのは数日後だった。
駅からさんが明治神宮の記念葉書をネットで検索した中に同じ紋章を発見したのだ。
→ http://someyagunsoh.jp/ehagaki-9.html
以下、駅からさんの談。
「絵葉書の下の方に篆書体で「明治神宮奉賛会発行」と書かれているので、明治神宮奉賛会の紋章なのかもしれません。だとすると現在の「宗教法人・明治神宮」の前身にあたる組織で、戦前のものということになります。」
ところがである、
「同じマークの絵はがきは他に、「明治神宮外苑管理署発行」というのもありますね。こちらは内務省内の組織のようです。」と続くのだ。
つまり、同じマークを複数の部署で使っていることになるのだ。
駅からさんの推察ではこのマークは特定の部署の物では無く、明治神宮若しくは明治神宮外苑のシンボルマークという位置づけではないか?
私の推察では、縄張り意識の強いお役所が自分の所以外のマークを使うだろうか?
或いは、許可を得た第三者が管理者の名前(奉賛会と管理署)を使って絵はがきを発行した・・・。
でも、ここまで考えると収拾が付かなくなりそうだ。
結局の所、正体は分からない。
いずれにしても決定的な文献などが無いので今後の研究に委ねたい。
どなたか興味のある方は調べて頂けると助かります。
仮囲いの中にかつての国立競技場の跡が。
会期に間に合わせるためにいい加減な物を建てるよりも、国民が納得できる施設を建ててほしい、これが切実な願いだ。
日本青年館。
今は解体の真っ最中。
ツイートで知ったあの美しい紋章を撮りに来たのはついこの間だったのに。
竹村工務店の蓋 全景。
松菱?の中にTとKを組み合わせたマークが素晴らしい。

テプコの小型蓋。ルート上は入れていたのだが、ついうっかり忘れてしまった(ゴメンナサイ)。余り見掛けない蓋で、これまでに3枚しか見たことが無い。サイズは直径20cmぐらいだろうか。
          * * * * *
前篇はここまでとします。スタート地点からここまで約1.2キロメートル。所要時間は約1時間40分。
下見の段階で一人でゆっくり歩いても全体を通して2時間弱ぐらい。複数で歩いても3時間もあれば新宿に到着すると踏んでいたのだが。
後篇ではお宝蓋や送水口など盛りだくさんの内容です。乞御期待。
(掲載の写真の多くは下見の段階で撮影した物が大半です。)
開催日:2015.10.04(日曜日)
撮影:2015.04.16~10.04 東京都港区及び新宿区内各地。
(2015.10.10 初稿)