横浜から川崎へ 前篇

「マンホールのふた 日本篇」の145ページ上段に輝く横浜市の楕円形の消火栓。
今日となっては見ることのできない蓋だ。
しかし、その代用品らしいコンクリート製の蓋ならば見ることができるらしい。
蓋散歩びとさんのブログにその蓋と所在地付近の地図が掲載されている。
このコンクリート製の蓋さえ現存するのはここだけらしい。
なお、横浜・寿町に有ったとされる鉄蓋はもう存在しない。
更新され消滅する前に是非とも撮影しておきたいので現地に向かった。
記事が長いので前篇、中篇後篇の三部作となります。

今回の出発点はJR尻手駅。
この駅舎を見るのは今回が二度目。
初めて見たのは蓋趣味を始めて間もない頃。
皇居前で見つけた東京電燈の紋章を調べるために東京電力が運営する電気の史料館へ出かけて以来となる。(記事末の補足参照)
帰宅後に当時の写真を見ていたら駅名標が今日とは違っていることに気づいた。

十数年前の駅名標の方が個人的には好きだな。
柱の汚れが昔と同じで笑ってしまった。

駅を出て消火栓のある場所に向かう。
はず…だったのだが、どうやら反対方向へ歩いていたようだ。

でも、こんな蓋に出会えた。
旧建設省の情報蓋。たぶんケーブルなどが格納されているのだろう。
けがの功名だな。

更にこの埋設標にも。
撮影時には気づかなかったのだが、この埋設標を撮ったことにより特電の埋設標には国鉄時代からJRに至るまで少なくとも3タイプ存在することが分かった。

真ん中の埋設標は「特電」の字体が国鉄時代の物と同じ。
JRの物でありながら国鉄の特徴も併せ持つ過渡期の埋設標かもしれない。
蓋だけではなく、このような埋設標もデータの蓄積は大事だと痛感した。

気を持ち直してUターン。

川崎市のカラー蓋。
JR川崎駅周辺で見かける蓋とは少し違う。
最新の資料には掲載されていないタイプだ。
今の仕様になる前はこのタイプだったのかもしれない。

横浜市の楕円形の消火栓。
これですよ、これ、撮りたかった蓋は。
蓋の形状は神奈川県営水道で見かけるコンクリート製蓋と同じタイプ。

この蓋を撮影でき、この日の予定は終了。
この後は一路、横浜市中心部へ向けて探索だ。

ごっつい採水口、発見。
東京電力の施設に付属するものらしい。

排水弁。
初めて見る蓋だ。
気づくと横浜ではなく、川崎の中心部へ向かっていることが分かった。
方向音痴の本領発揮だ。
ま、仕方がない。このまま進むとしよう。

どこにでもある川崎市の無彩色デザイン蓋であるが、詳細に分類すると結構な数になる。
一通り撮影済みであるが、拘りを持って分類するのもおもしろそうだ。
いずれ機会を作ってやってみよう。

電電公社(正確には旧電気通信省)の紋章が付いているコンクリート蓋。
紋章が無ければ、ごく普通の汚水桝蓋としてスルーしてしまうだろう。

川崎市の境界石。
川崎市は余り見かけない自治体だと思える。

川崎市の境界標の種類。
川崎市のHPに一覧が出ていた。

中篇へ続く)

(補足)駅からマンホール氏の調査によると、東京電燈の紋章は会社が存在した当時からかなりばらつきがあったようだ。本来は6本のところが8本になった印刷物の写真をTwitterにアップされていたのを見たことがある。

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